scene-24
 
 下にあった血痕からすると、斬罪の執行者は学園の方に逃げていた。
 あっちへ逃げたのなら、また出会う可能性があるかもな。
 思いながら五階へと降りて来た僕の足は、それを前に動きを止めた。
 その奇妙な物は明滅するように躍動していた。そう、それは生物のように蠢いていた。
 彼女と耕ちゃんの、重なり合う二人の死体に出来たソレは生きているようだった。
 彼女と彼の死体には無数の大きな繭が出来ていた。
 いや、それ自体はそれほど大きくはない。バレーボールの球くらいだった。
 歪な繭、それが音もなく爆ぜた。
 小さな、いや、大きいのか?分からない。脳が認識を嫌がっているようだった。
 ソレは卵の殻を纏うように繭の破片を広げた羽に纏いつかせ、黒い空洞のような眼窩を僕に向けていた。
 胎児のような天使が産まれていた。
 しかし、天使?これが。この歪な生き物が天使だと言うのか?
 老木の朽ちたウロのような目が不気味に開かれていた。
 その目を見た瞬間、僕は引き金を引いていた。
 銃弾を受けたソレは無数の破片となって飛び散る。文字通り、爆ぜた。のである。
 翼の破片が舞い、胴体部の肉片が無数に飛び散る。
 肉片の断片は、ただ赤いだけの内部だった。内臓らしき物は無い。
 無数の肉片の周囲に赤い霧が漂っていた。
 これがドSが言ってた『黴』なのか?
 そして次々と繭が割れ出した。が、その後、彼女と耕ちゃんの死体がどうなったのかは知らない。
 僕は漂って来る霧の不気味さから、その場を逃げ出したからだ。
 あの霧に触れて、己の身体から繭が産まれるなんて耐えられなかった。
 一階に駆け下り、体当たりをして入り口のドアを開く。文字通り、転がり出た。
 訳も分からず走り出す。目的も何も無い。とにかくここから離れたかった。
 あの、赤い黴が僕の身体にも付いてるような気がして、どうしようもなく嫌だった。
 どれくらいの間、走ったのだろう。それを目の端に止め、僕はゆっくりと足を緩めた。
 どこにでもある児童公園だった。だが、ここにはあれがあった。滑り台が併設された砂場があった。
 取り憑かれたように砂場を見ながら、上着を脱ぎ捨てTシャツを剥ぎ取る。
 いや、冷静になれ。馬鹿な考えを捨てろ。そう思いながらズボンの前を外し、引きずり落とす。
 靴と靴下も脱ぎ、パンツ一丁になった僕は……砂場に向かってダイブした。
 若い女の子が昼間から半裸で砂浴びなんか、普通は通報案件だ。いや、昼間じゃなくてもだけど。
 だが、ここは地獄で誰も見てないし、何よりあの黴がどこかに付いていたらと思うと気が狂いそうだった。
 いや、公園で砂浴びをしている段階で僕は狂っているのかも知れなかった。
 そういや、公園の砂場は猫の公衆トイレだって言われたっけ。そんな事を思い出したのは、これ以上は無いってほど砂浴びをした後だった。
 パンツ一丁でぼんやりと曇った空を眺める。雲を流す風は無い。ただ曇ったガラスのような空があるだけだった。
 それは僕の知る空の風景じゃない。どうしようもない不自然さがそこにあった。
 移り変わる時間という概念があっても、ここの空は変わらないようだった。
 のそのと起き上がり、脱ぎ散らかした服を拾う。
 Tシャツを着て、ジーンズを履く。少し考えて……上着は捨てた。大丈夫だろうけど、あの霧が付いてたら嫌だからだ。
 同じ理由で靴も履かないでおく。
 ここまでの道は舗装してあったので、意思を踏まなきゃ問題はないだろう。
 上着を捨てるならジーンズはどうなんだと考えたが、半裸で帰る気にはなれなかった。
 
 店に帰ると裏口から入り、三階のシャワーへ迷わずに行く。誰にも会わなかったが、そんな些細な幸運が嬉しい。
 シャワールームに入り、ちょっと考えてから、これ以上は無理ってほど温度を上げてシャワーを浴びた。
「ひぐっ」
 喉の奥から変な悲鳴が出た。マジで火傷をしそうだったからだ。でも、これで黴も洗い流せるだろう。確信は無いけど。
 しまった。着替えとかを用意してなかった。シャワールームの備え付けは普通のタオルだけだし、バスタオルは……持って来なければ、無い。
 どうしよう?あの黴の事もあるから脱いだ服は絶対に着たくないし。ってか、さっき脱いだときにゴミ箱に捨てたっけ。
 ゴミ箱の中から出した服を着るのは絶対に嫌だった。
 男の時だったら迷わずタオルで前を隠して上がるんだが……女の子になってから変に恥ずかしくなったっていうか、気を使うようになった。
 裸で歩いたらダメだっていう固定観念?みたいなのが出来てきた。
 僕は平気だけど、世間的にダメだろうみたいな?
 まぁでも、無い物は仕方ない。タオルで前を隠して上がろう。
 さすがに熱湯はキツかったので、冷水に気に変えてクールダウンをする。嘘です。ぬるま湯です。
 シャワーから出ると知らない間に着替えが用意されていた。扉が開いた気配はなかったのに。
 実用的な作業用のズボンと黒のタンクトップとボクサーショーツが用意されていた。
 これ、着てもいいのか?
 誰か他の人のだったら不味いよな?
 疑問を顔に貼り付けたままシャワールームのドアから外を窺い見る。
 誰もいない。っていうか人の気配が全然感じない。
 どうするか?と悩んだ後、タオル一枚で上に上がる事にした。
 他人の用意した物を勝手に着るのもアレだし、誰もいないのら問題なく上がれるだろう。
 会っても堂々としてれば大丈夫だろう。知らんけど。
 
 テントに戻った僕は適当なボクサーショーツと黒のタンクトップに着替えた。
 用意してあった着替えと同じ格好を選んだわけでない。
 ズボンをどうすっかな。ゴソゴソと引っ張り出したズドンを見て、僕の顔は険しくなった。
 僕の手の中には作業着風のズボンが握られていた。さっき用意されてた服じゃねえか!
 地面に叩き付けたい衝動を抑えつつ、深呼吸をしつつ、諦めてズボンを履く。
 着替えが終わると、どっと疲れが出た。
 簡易ベッドに横になり、テントの入口を見る。開け放たれた入り口の向こうにどこにでもある屋上の風景が見えた。
 コンクリートの床。驚くほど遠くに感じるロープで干されたシーツ。
 クロは仕事中なんだろうな。
 あの犬と長い間会ってないような気がした。
 仕事が終わったら……たまには頭でも撫でてやろうか。
 って考えても、仕事をしてるのは僕じゃなくてあの黒柴の方なんだけど。
 マジでヒモだなぁ。