scene-23

 真帆の姿が闇に消え、女子生徒の強い意志を称えた目が伏せられる。
 小さな溜息を吐き、彼女は振り返った。
「そろそろ出てきてもいいんじゃない?」
 反射的に僕は背後の壁に自身の身体を押し付ける。
 見つかった?って言うか、見つかっていた?
「出て来ないの?」
 と言葉と同時に拳銃が真っ直ぐ僕の隠れている壁へと向いた。
「分かった。出て行くから撃つなよ」
 ホルスターから拳銃を抜き、引き金から指を外し、両手を上に向けて姿を現す。
 白々しく溜息を吐き、僕は話しかけた。
「いつから気付いてた?」
「いつから?さあて何時からだろうね。ま、学園を出てからはチョロチョロしてたよね?」
 じゃ、最初っからじゃねえか。いやいや、ありえないって。
「一定の距離を保ったままスニーキングされたら、あ、誰か尾行してるって普通は思うでしょ」
「あ、あの……失礼ですが、生前のご職業は?」
「警察官。あ、刑事とかじゃないよ。普通のおまわりさん」
 その割には銃口は僕の眉間を狙ったまま微動だにしていない。隙が無さ過ぎる。
「そろそろ腕も怠いしさ、手を下ろさせてもらっていいかな?それに銃口を下ろしてもらえると嬉しいな」
 緊張を解こうと冗談めかして言ってみる。
「腕はもう下ろしていいよ。けど、こっちの銃口は下ろさないけど」
 にっこり微笑みながら言われた。
「で、ここからが本番なんだけど……何の用?」
「いや、元々あんたに用があったわけじゃない。僕が尾行してたのはあのちっこい方だよ」
「ああ、あの子。何、ストーカー?って、君は女の子だよね?」
 誰がストーカーだ、誰が。女の子だよね?との質問には肯定も否定もしない。って言うか、できない。
「こっちの事はどうでもいいだろう?それよりあんたは何をし」
「不純異性交遊」
 最後まで言わせて貰えなかった。って、はあ?
「不純ってほど乱れた訳じゃないけど、異性と仲良くなっちゃダメなんだってさ」
 不純異性交遊。その言葉を聞き、僕は顔を顰めたまま天井を向く。
 年寄りの肉体じゃないから、その手の欲求が無い訳じゃないけど……。
 享年を聞きたかったが、さすがに失礼か?歳を取ってからでも恋愛は不可能じゃない。
「OK。理解した。で、彼氏を追い掛けるのか?」
「このまま放置じゃダメかな?」
 それは本気の質問ではないので僕は何も答えない。しかし、そのまま会話が途切れた。
 ……何か喋れよ。と思ったが、いつまでも無言のままなのも辛いので会話をふる。
「気が進まないか?」
「そんな事はないけど……ま、ね」
 そう言うと彼女は銃口を下ろし、後ろを向くととぼとぼと歩き出した。
 血痕を追い、無言で歩く。背後を着いて行く僕を無視するようにただ自分の足元だけを見て歩いて行く。
 地下駐車場の奥にある非常階段へと血痕は続いていた。
 緑色の鋼鉄製のドアを開け、その奥にある階段を登って行く。
 地下のと同じ材質のドアを開けると、涼やかな風が頬を撫でて行った。自然と目を細める。
 駐車場から外の道路へ出ると涼しさを頬に感じた。日差しが暖かい。珍しく蒸し暑さは感じない。
 道路に落ちた血痕を辿り始め……すぐに彼女が僕を振り返った。
 いや、僕じゃなく道路に落ちている血痕を振り返ったのだった。
「どうした?」
「何で?どうしてペースが上がって来ているの?」
 僕に対してての質問ではなく己の疑問が口に出ただけだった。
 再び血痕を追い始めるが、すぐに彼女は走り出した。血痕の主と同じように。
「何から逃げているの?」
「ゾンビかな?」
 僕が呑気に声を掛けると派手な舌打ちが返って来た。
「動きの遅いゾンビなら走って逃げる必要はないでしょ」
「真帆が……あのちっこいのが止めを差しに来たとか?」
「だったらもう死体と対面してるわよ」
 血痕は雑居ビルのエレベーターの前で途切れていた。エレベーターの電源は当然来ていない。
 ここの血溜まりが他よりも大きい。きっと動いていないエレベーターのスイッチを何度も押していたのだろう。
「こっちよ」
 彼女が叫び、エレベーターの横にある階段へと走り出した。
 信じられない速さだった。余裕だと思っていたら離されるほどの速さだった。これは本気で走らないと……と思ったらいきなり彼女が立ち止まった。
 立ち止まった彼女の足元には異様に大きな血溜まりがあった。
 
 暗い階段の途中、踊り場の手前に致死量を超えた血痕があった。血痕だけがあった。
 男の死体は無い。背後を見てみるがそこにも死体は無かった。
 何が?
 コツ。
 静かな階段の中で小さな靴音が響いた。上の方から聞こえて来る。
 コツ。コツ。
 ゆっくりと確かめるように降りて来る。
 静かに彼女が拳銃を構える。降りて来るモノに合わせるように階段の踊り場へと銃口を向ける。
 彼女の息は乱れてはいない。一瞬で息を整えたのか、そもそも乱れてもいなかったのか。
 コツ。コツ。コツ。
 さり気なく僕は彼女の影へと隠れた。拳銃は構えずにただ警戒だけはする。
 コツ。コツ。ずり。ず……。耳障りな音が静かな踊り場に響く。
 僕らの目の前に現れたのは若い男性の下半身だけだった。
 傷口から臓物が溢れ出る。
 彼氏なのか?どんなズボンを履いていた?靴は何を?思い出せない。
「彼氏か?」
 しかし、彼女は答えない。
 彼女の見てたのは崩れ落ちる下半身ではなく、手を繋がれ荷物のように下げられた彼の上半身を見ていた。
 彼の上半身は……断罪の執行者の手に繋がれていた。
「……耕ちゃん」
 耕ちゃんと呼ばれた男だったモノは何も移さない目を開き、声なき声で叫んだ。
 と同時に僕は彼女の影から走り出していた。拳銃を左手に持ち替える。
 二度三度と引き金を引く。が、耕ちゃんで塞がれた。食い掛けのゾンビを盾にするのか?右手でコンバットナイフを抜き、一気に間合いを詰め……振る。
 外れた。と認識すると同時に振り下ろされた耕ちゃんを腕でガードする。どのみち奴を狙っても避けられるので、振り回されている耕ちゃんの腕へと刃を走らせる。
 繋がれていた腕を切断され自由になった耕ちゃんが僕の背後に吹っ飛んだ。
 ヤツの正面に出て拳銃を二度撃つ。ヤツはあり得ないほど身を仰け反らせ銃弾を避ける。ブリッジの姿勢になり、不自然に向き直る。
 僕は微かな違和感を感じていた。
 銃弾を持っていた耕ちゃんで防ぎ、今また銃弾を避けたのである。
 何故だ?攻撃を避ける意味なんか無いだろう。ってか、以前は避けていなかった。どんな攻撃をされても防御なんかせずに受けて、そのまま攻撃をしてはずだ。
 何をしている?一瞬の疑問が僕の隙になった。
 断罪の執行者は持っていた腕を僕に投げ付けると……背中を向けて逃げ出したのである。
「手前っ……逃げるな!」
 追いかけて走り出そうした僕の足が…不意に絡れた。
 不様に顔面から階段に落ちる。反射的に手でカバーをした。
「くそっ!」
 悪態を吐きながら起き上がろうとする…が、力が、入らない?
 何だ???
 と、背後から銃声が聞こえた。彼女が耕ちゃんを撃ったのだろう。と、再び銃声と人が崩れる音が聞こえた。
 ???何だ?何が起こってる?
 いや、それよりも…何で僕はこんな所で寝っ転がってる?動けないのか?
 逃げた斬罪の執行者が上の階で暴れていた。って言うか、机なんかの障害物を押し除けて逃げているんだろう。
 その証拠にさほど待たされずに窓が破壊される音が響き渡った。
 飛び降りたか。上は確か六階だぞ。下に落ちたらペシャンコなのに。ま、アイツのことだから平気で逃げるんだろうけど。
 追い掛けるのを諦めたら、徐々にだが身体が動くようになっていた。
 仰向けになって、階段の踊り場で無駄に高い天井を眺める。
 ここで斬罪の執行者を逃したのは、絶対にドSのせいだった。アイツが僕の身体に何かをしたんだと思う。
 この間見た変な夢の日が怪しい。いや、良く憶えてないけど…多分、あの日が怪しい。
 ま、もう逃げられたから仕方ないけど…問題は下の彼女の方か。
 と、身体を起こして下の階に目を向けると耕ちゃんの上半身を抱き締めた彼女の死体があった。耕ちゃんの頭も撃ち抜かれている。
 思い溜息を吐き目を離す。
 こんな事だろうとは思ったけど。
 意味も無く憂鬱な気分になった僕はゆっくりと身体を起こし上の階へ行く。
 破壊された入り口のドア。そして一直線で窓へ走る足跡。そして、砕かれた窓。
 破壊された窓から下を見ると、ガラスの破片と血溜まりがあった。
 潰れた肉片もあるみたいだが、本体は見当たらない。もう逃げた後だろう。だから、僕も動けたのだろうし。
 ここで黄昏ていても仕方が無い。帰ってドSをとっちめてやろう。