scene-21
 
 白い部屋だった。
 窓も家具らしい家具もない。ただ白いだけの部屋。
 僕が死ぬ前に入れられていた病院よりも無機質なその部屋は、微妙に寒かった。
 そりゃ寒いだろうよ。素っ裸で上掛けもなしで寝かされているんだからな。って、言うか、何で裸なんだ?
 久しぶりに生前を思い出し、僕は舌打ちをした。いや、したかった。麻痺している口は舌打ちが出来ず、ただ微かに口を開いただけだった。
 どうなってやがんだ?と周囲を見ようとしたが、微妙に頭が動くだけで何も出来ない。って言うか、硬い寝台のせいで後頭部が痛い。
 何とか動こうと足掻くうちに首だけはある程度なら動けるようになって来た。が、意味ねえ。
 ふと気付くと隣の寝台の上にクロが座って僕を見下ろしていた。
 黒い無機質な瞳だった。道端の小石を見る目と言えば良いのか、欠片ほどの愛情も感じられない目だった。
 このクソ犬が。見下ろしてんじゃねえ!と精一杯の眼力で睨むが、クロは「へっ」と馬鹿にしたように笑って興味を失ったようにあっちを向いて寝そべった。
 と、その時クロの首に銀色のドッグタグが煌めいているのに気付いた。所謂、認識票ってヤツだ。
 犬の首にドッグタグってどう言うセンスだ。いや、そういや迷子犬になったとき用に住所とか書かれた首輪があるって聞いたことがあるけど……。
「気に入ってもらえたかね?」
 いきなり耳元で囁かれ派手に振り向かされた。後頭部がゴリゴリと音がしそうだった。ってか、痛い。
 ドSだった。いつものいやらしい顔で薄ら笑いを浮かべていた。
「このIDタグは我々からの就職祝いだよ」
 ドSの生暖かい指先が喉元に触れ、首に巻かれたドッグタグを持ち上げる。クロと同じタイプのドッグタグが僕の首に巻かれていた。
 胸元に持ち上げたドッグタグを下ろし僕の肌を楽しむように指先を下に滑らせていく。
「君の新しい認識番号はNo10310だ。古い名は……幾つあったかは知らないが、もう使わない方が良いだろう」
 お臍の手前で指の動きを止め、ドSは言葉を続ける。
「これからは……遠見いおとでも名乗ると良い」
「こと……わ……る」
 ドSを睨みながら、辿々しく言う。
「ふふ。そんな物欲しそうな目で見ても何も出ないよ」
 心底嬉しそうにドSが言う。
 誰が物欲しそうな目をした。ふざけんな。
「それで……だ。君にもう一つ我々からプレゼントをしたいと思ってね」
 再び動き出した指の動きはゆっくりとお臍の下へと滑って行く。いや、その辺で止めろよ。
「普通の人とは違う。人を超えた能力……異能とでも言うべきか。単純に力と呼んでもいい」
「や……めろ。触るな、ショッカーめ」
 不意にドSが快活に笑う。
「はっはっはっはっ。我々を悪の秘密結社呼ばわりかい。だが安心したまえ。君をバッタ人間に改造しようと言うのではない」
「いや、ショッカーが通じるのかよ。そっちのが驚きだよ」
「ま、一般常識だよ。昭和の後期前後が舞台になっているからね、この世界は。流石に我々の権限では君をM78星雲の宇宙人にしてやることは出来ないが……」
 触れていた指先を離し、その指先をじっと見つめ……叫んだ。
「だが、脳のリミッターを外す事は可能なのだよ!」
 次の瞬間、ドSの指先は僕の頭を、頭皮を、頭蓋を通り越し、脳を直接掴んだ。
「う、があ……あがががが日hりおghじおjんvdlksんlrwんlkw」
 唇から漏れる叫びは言葉にならず、意味を成さない言語の羅列だった。動けないはずの手足は狂ったように痙攣し背中で硬い寝台を打った。
「ふふ。どうだい?なかなか出来ない経験だよ。直接脳髄を弄られると言うのは」
 ドSは楽しげに指先を好きに遊ばせる。
「何とか言い給え。気持ち良いのかい?苦しいのかい?……さあ、何が見え」
 な……に……が?
 言葉に誘われるように僕の目はドSの背後に広がる白い天井を見る。天井の向こうを見る。
「あ……あ……あ……あ……あ……あ……あ……あ……あ……あ……」
 そこに見たのは、あの日、僕が最後に、、、
  
 モスグリーンの天幕とその向こうの良く晴れた空が、僕の眼前に広がっていた。
「は?」
 何が起こっているのか理解が追い付かず周囲を見る。
 クロは昨日の犬用の椅子みたいのに収まったまま、まだ寝ていた。その首に昨日のドッグタグがあった。
 自分の首筋に触れ、そこにあるドッグタグを確認する。
 老眼だった頃の癖で、目を眇めて打ち込まれたナンバーを見る。
 NO10310だった。
 昨日のはやっぱ夢じゃないのか?
 脳を弄られる感触を思い出し、頭を振ってその記憶を追い出す。
 ふと気になってクロの側に行き、そのドッグタグに手を伸ばす。
「バウッ!!」
 めっちゃ怒られた。
「いや、ドッグタグを見せてくれよ。盗らねえって」
「グルルゥウ。ガウ」
 寝っ転がったまま文句を言うクロ。ってか、寝言か?まだ寝てるっぽいんだが。犬の寝言って初めて聞いたな。
 寝ている犬を起こすのもなんか悪いので一人で階下に降りる事にした。
 降り際に簡易テーブルの上に置かれた湿度計と時計が一緒になったヤツを見ると時刻はまだ早朝だった。
「店っていつから開店だろ?」
 時期と時刻の両方の意味で呟いてみる。って言うか、僕が意識を失ってたのが一晩とは限らないと思っていた。
 確か……二日ほどぶっ倒れるとか言ってなかったか?
 三階のトイレで用を足し、手を洗いながら鏡に映った少女の顔を見る。
 遠見いおだっけ?新しい名前か。ま、名前に拘りはないけど、あんまりコロコロ変えるのも何だかなぁである。
 シゴよりはゴロが良いように思うけど。
「シャワーでもいいから浴びたい」
 力無く呟く。
 トイレの横にシャワールームがあるのは確認出来たけど、タオルも着替えも持って来てなかった。
 って言うか、荷物はまだビデオ屋に置いたままだった。
 階段に戻り二階に降りる。一階まで行き、荷物を取りに行くかと考えたが先にメイドカフェに顔を出す事にした。
 ドSだけならどうでもいいけど、他の風紀委員の人がいるだろうし、挨拶でもしてる方がいいと考えたのである。
 短い通路を抜け、「ここかな?」と薄く開けたドアから顔を覗かせる。
「やあ、おはよう」
 無駄に響く声で目敏く僕に気づいたドSの一声だ。ってかドアを開けると同時に気付くってどこかに監視カメラでもあったのか?
 背後を確認するが……それっぽい物はなかった。
「どうかしたのかい?」
「それはこっちのセリフだ」
 と、そこで見知らぬ顔を見て「あ、おはようございます」と挨拶をする。
 僕が何を言ってるのか理解出来ないとう言う風に、ドSは白々しく首を傾げている。
「何でメイドカフェのウエイトレスが軍服を着ているんだよ」
「おや?分からないのかい?理解出来ないかい?」
 喉の奥で声を殺して笑いながら聞いてくる。
「分からないのなら教えてあげようじゃないか。勿論……それは」
 しっかりとタメを作ってドSは言った。
「致命的なほどメイド服が似合わなかったからだよ」
 確かに。容姿にも難がありそうだが。それ以上に性格的にメイドっぽくないからな。
「で、君はどうしたのだね?」
 それには答えずじっとドSの顔を見る。穴が開くほど睨みつける。
「ん?」
 白々しく不思議そうな顔をしているドSに僕は言った。
「昨日、僕の脳に何をした?」
「昨日?昨日は君が経口式栄養補給水SSS-rを飲んで倒れたので君をコットに運んで、私は下に降りたが?」
「じゃなくて、あの真っ白な部屋で僕の脳を弄っただろ?」
「真っ白な部屋?脳を弄った?私が?」
 ドSは本気で分からないようだった。
 じゃ、あれは夢だったのか?
「いや、じゃぁこれは何なんだよ」
 僕は胸元からドッグタグを引っ張り出した。
「ドッグタグだが?あの日、帰る前に君の首に掛けたのだよ。まだ微かに意識があったのだね。それで夢と混同したのだろう」
 じゃ、本当に夢だったのか?
 ま、こいつに聞いても本当の事は言わないだろう。あの白い部屋とかが事実だったとしても、だ。こいつの相手をしてても時間の無駄だ。
 僕は小さな溜息を殺し、背中を向ける。
「じゃ、行くわ」
「ん?何処へだい?」
ビデオ屋。荷物を取りに行くって言ってただろ?」
 首だけで振り返り僕は言う。
「荷物はテントに運んであっただろう。それとも、何か忘れ物でもあったのかい?」
「へ?」
「気付かずかい?一応朝露とかを避けるのにテントの奥に入れておいたのだが?」
 気付かなかった。
「そか。じゃ、まぁ……ありがと」
 じゃ、この後はどうすっかな?
「えと……シャワーとか貸して欲しいんだけど」
「ふむ。タオルとか石鹸は備え付けの物を自由に使うといいだろう。場所は分かるね?」
「こっちに来る時に前を通ったよ」
「では、着替えも用意しておこう。制服でいいだろう。さて」
 とここで言葉を切り、ドSは自慢げに言った。
「西洋風のメイド服と和風の給仕服とこの格好良い軍服と、どれが良い?」
「ん?給仕服もあるのか?」
「私の他にも洋装が致命的に似合わなかった者がいたのでね。誰とは言わんが……通称和君とかね」
 いや、言ってるし。
「和君。こっちに来てくれ給え」
 和さんだ。めっちゃ久しぶりだなっても一回会っただけだけど。
 こっちに来た和さんは超地味な和服に袖を襷掛けにした格好をしていた。が、その簡素さが妙に色っぽかった。
 ちなみに下半身は袴なので、メイド喫茶なのに女子受けがしそうだった。
「と、メイド服はそこら辺を歩いているのを見れば問題ないだろう」
 ずいぶん雑だな。ま、普通のメイド服だな。
「そしてこのお洒落なヨーロピアン風の軍服と好きな衣装を言いたまえ」
「僕は和服の着付けなんか出来ないぞ」
「ふむ。着るのが簡単なのはこの凛々しい軍服……」
「軍服は断る」
 ドSが全部言い終わる前に速攻で却下した。
「着付け頼むのも悪いし、メイド服にするよ」
「スカートの裾の長さはどうするね?」
 ん?見ると全員がロングスカートだった。
「ちなみに……ロングはもう在庫が無くてね」
 めっちゃいやらしいドヤ顔でドSは言った。
「メイド服は超ミニスカしかないのだよ」
 ドSはいやらしい笑みを隠さずに言う。
「ミニスカのヤサグレメイドも新しいんじゃないかい?」
「誰がヤサグレメイドだ!」